最近気になる「ヘー」という言葉・・・・

本日業務修了。
最近特に違和感を感じることがある。
それは「へー」という言葉だ。塾生と話をしていても、大学生のチューターと話をしていても、うちに帰って家内と話をしていても、テレビの司会者やゲストからも、高校生からも必ず「へー」という平坦なアクセントの反応が返ってきたり、聞こえてきたりする。
僕は以下のように考えた。
他人からの意見や情報に対し考えることを放棄して、他人の意見を受け入れるわけでもなく、感心しているフリをしているようなそぶりで相手が気を悪くしない反応。それが「へー」だと。
まぁ、「へー」と反応されたほうも考える頭がありませんので、なんとも思ってないからいいのだろうけれども・・・
大学生のチューターに「へー」とは一体どのような返答なのか聞いたところ、「話が早く終わるので良い。」だそうで、コミュニケーションが希薄なほうが好まれる時代になってきたのだなぁとまとめよう。
イカンイカン!騙されてはいけない。我々は日常の会話の中で「瞬時に情報を精査して考えて次に反応する、そして瞬時に良い方法を選択しようとする」そんな訓練を日常でしてきた歴史を持っている。だからこそ、自分の将来についても考え悩むことが出来た。バブルの崩壊や東日本大震災で沈むことなく頑張ってこれた経験さえある。
5年という歳月はこうも人の精神の次元を下げてしまえるのか。5年ぶりに復活した漫才の腕を競う大会でも、ちょっと考えて笑えるものや風刺が効いているものより、手っ取り早く笑えるものが好まれるようになったようだ。漫才とは「笑わせるもの」がプロであって、決して身振りや振り付けで「笑われる」者ではない。しかし、見ているほうも次元が低くなっているのでこれでいいのだろう。うちの小学生のお子様はかなり面白かったようですが・・・
ピエロがお帽子を取って御御髪(おみぐし)がお上がりになった姿で滑稽な動きで笑われる。これはこれでその道のプロだが漫才ではない。ネタの言葉の中身の薄さを動きでカバーする漫才の拡大解釈だというところだろうか。
今の人たちや審査員になった当事者でさえ、笑いに関しても考えることをしないほうが楽なのだろう。
考えることを放棄したこの国にはいったいどんな未来が用意されているのだろうか。
厳正一言  2015/12/07

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