ある小学N年生の集合授業の風景

先日の出来事です。
小学生のある学年の一斉授業(黒板授業)にて、授業が始まって、講師(私)が話しているにもかかわらず
私語をやめなかったとして、授業前に叱咤し説教が始まりました。
叱られた当人は深く反省していたのですが、関係なかった生徒がニヤニヤしている姿が
私の怒りの火に油を注ぎ、説教が7分ほど続きました。
さらに、関係なかった生徒に、
「授業が7分間つぶれたのは、私が悪いのか、私語をしていた●●が悪いのか?」
と尋ねたところ、
彼 「先生(私)が悪い。」
と答えました。
その時に、怒りが覚めてしまい。そこから8分その彼に

私 「たとえば、仕事中に楽しくおしゃべりをしながら仕事をしていると、
社長がやってきて『仕事中に話をするな!』と注意されたら誰が悪いのか?」

と尋ねると、

彼 「社長が悪い!楽しく仕事をやっているのに意味が分からん。」

と胸を張って答えました。

私 「それじゃあ、君がレジに並んでいる時に、
レジのおばちゃんが、ペチャクチャ、ペチャクチャ他の人と話をして、
君が待たされても怒ってはいかんのやな?」

というと

彼 「それは違うし、嫌だ。」

と彼は下をうつむきました。そして、

私 「君たちの仕事は「勉強すること」それは憲法にも義務として書かれている。
授業中、教室でしゃべれるのは立っている人だけだ。1週間に45分しかない貴重な時間。
学校の算数は一週間に何時間ある?」

と最初に火をつけた●●君を指さすと、

●●君「5時間あります。」

私 「塾は45分授業で、その5時間分と戦わないかんのや!
学校でわかりにくい所を、このきめられた時間内で授業して、また宿題を出して、
宿題のわかりにくい部分を個別で教えて、さらにわかりにくい部分は、次の週の最初に解説して、
やること満載なのにもかかわらず、この15分は君らにとってかなりの損なんやで!
だから、今日は終了を15分延長する。」

みんなが納得した様子。さらに、

私 「だから、塾の集合授業はみんなの協力が必要なんやで!
最近は『真面目』『一生懸命』という言葉が皮肉に使われすぎとる。
本来みんなが目指す方向は『真面目』『一生懸命』なんやで!」

どこかの大人が、このような事を教えなければならないのです。

高松進学塾は、自分たちができる努力を教えて、自分で自分をマネージメントできる人間を育てることが理想となっています。
出来なかったなら反省し、さらなる高みを目指す事。勉強を通じあきらめない心を育てる事。そのために、火のついた子どもたちをストップさせるために大声で叱ることもあります。

いつもやっているわけではないのに、たまにそのような声が聞こえただけで、ご近所の利己主義の大人たちは、耳障りな事を理由にせず、児童虐待を盾に陰でチクリを入れたりします。この子たちの年金で生活する予定になっている人たちは、この子たちがしっかり成長して、しっかり仕事をしてもらわなければならないのに・・・・

まぁ、叱られないところで、のびのびと育てられると、上に書いたような自由奔放な考え方に育ちます。誰かが注意しなければ、学校の授業ですら崩壊してしまいます。しかし、学校における授業崩壊の原因は、その子にあるのであって、学校の先生だけに原因があるわけではない。しかし、その子には責任はない!!

競争して生きていきたくない人たちは、一般企業に就職はしないほうがよいでしょう。かといって、公務員になるためには、激しい競争と関門を勝ち抜かなければいけませんし、中途半端に恵まれすぎている。日本の親たちは現在ピュアリリズム進行中です。うちの子どもは違う。きちんとした将来を手に入れられます。と思っているのでしょう。これギャンブルにお金をつぎ込む人によくみられる傾向です。

甘やかされて育った子ども達と、厳しい規律の中で育った子ども達、これからもっと激しくなるであろう国際競争社会(グローバル社会)にどちらが通用するのか。これからに注目です。

厳生一言 2015/05/15

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